創業から変わらない信念と背後にある物語

この仕事を始めた原点

Prologue
15年以上にわたる継続の源泉

人生の谷底を乗り越えたことが
今の仕事に真っ直ぐと向き合って
これた原動力になっています

私の人生は最初から順風満帆だったわけではありません。PPSを創業する前、お金に関する誤った判断から大きな借金を抱え、心身ともに厳しい時期を経験しました。その中で、真摯に自らと向き合い、何が間違いで何が正解かを深く反省しました。

人生の方向を見つめ直すため、さまざまな分野の専門家や全国各地の成功者から学び取ることを決意しました。自分にとって真に価値のあること、そして多くの人への貢献ができることは何かを追求し続けました。この過程で、資産を守り、堅実に増やす方法を自ら試み、実践を通じての経験と知識を積み上げてきました。こうした学びが、私のお金に対する価値観や常識を根底から変え、15年以上にわたる海外口座開設サポート業の継続の原動力となっています。

これまでの道のりの中で、自身の過信が招いた人生の谷底まで落ちた時代について少しお話します。

01 Father's Death
父の死

お金に対して特別な感情を抱いた
突然の悲劇

私は、16歳から美容師としてのキャリアをスタートし、22歳で2店舗の店長に昇進しました。そして、26歳で独立し、自身の美容室を開業しました。

開業後、売上は上向きに推移していました。しかし、朝から晩まで働いても美容師としての収入には限界があり、自身の望むライフスタイルを手に入れるのは難しいと感じ始めました。

このお金への特別な感情の背景には、父の突然の死が大きく影響しています。ある日、父は家族に多額の借金があることを告白。そして、数日後に命を絶ちました。残された遺書には「家族みんなで仲良くやれ」との言葉と、保険金の存在が記されていました。たった800万円の借金を返せず、父は自ら命を絶つ事を選んだのです。

その後の2年間、私の記憶はほとんどありません。ただ、父の会社を整理していたとき、大量のロト6の券を見つけたことだけは今でも鮮明に覚えています。生前、父からギャンブルの危険性を何度も聞かされました。しかし、経済的な困窮の中で、最後に賭けたのはこのギャンブルだったのかもしれません。

お金があれば、父はあのような選択をしなかったでしょう。この時をきっかけに、お金に対する強い執着心が芽生えていったのです。

02 100 Million Yen Debt
1億の借金

過信の影で沈む谷底への道

27歳の時、新たな収入源を求めて販売業に手を伸ばしました。この挑戦は、驚くべきスピードで成功を収め、私の収入を劇的に増やしました。しかし、その代償として美容師としてお店に行くことは無くなりました。お店の90%以上は自分のお客様で、指名も予約もすべて断っていたため、売上は大きく落ちましたが、まったく気にもなりませんでした。頭の中は「稼げることをしたい」という思いだけでいっぱいでした。

それから間もなく、投資の世界に精通しているある人物と出会いました。彼は競馬やFXで大金を稼ぐ技術を持っていました。外見からは裏社会の人間のように見えましたが、とても紳士的な方でした。彼の助言に従い、競馬や投資を始めたところ、たった400万円が1日で4800万円に跳ね上がる驚きの結果を得ました。

「1億稼ぐことなんて簡単なんだ。これで一生食っていける!」…と、思わず口に出してしまったほどです。8000万稼いだ時の私は完全に天狗になっていました。自分はお金を稼ぐ力がある人間なんだと信じきっていました。

しかし、この過度な自信が私を破滅へと導くこととなります。彼は仕事により大阪へと飛びましたが、彼からの助言が無くても一人で稼ぐ自信がありましたし、勝つための法則も理解しているはずでした。そして、私はこれまで稼いだすべての資産を投資に突っ込みました。

競馬で5000万円、FXで3000万円、私の資産はあっという間に消えてしまいました。

借金地獄と信頼崩壊の始まり

お金を失ったにも関わらず、私はまだ成功しているかのように振る舞っていました。妻にも真実を打ち明けられずにいました。そんな中、義父や親戚が「数千万円を元手に増やしてほしい」と相談してきた時、私は迷わず引き受けました。今思えば、この時にすべてを打ち明けてさえいれば、この後に続く地獄の様な出来事は起きなかったかもしれません。

義父や親戚から預かったお金をすべてFXと投資に注ぎ込みました。あれだけ大失敗したにも関わらず、まだ成功できるという根拠の無い自信を持っていました。「増えた分は自分の物にすればいい」とまで思っていました。しかし、期待通りの利益を得るどころか、資金は一瞬で消え、どうにも立て直せない状況に陥りました。

03 Rock Bottom
人生のどん底

自己破産さえ許されず生きる感覚も失われた奈落の深み

義父のお金と借金をなんとかするため、保険をすべて解約し返済に充てましたが、すぐに底が尽き、いよいよ消費者金融からもお金を借り始めました。それでも自分の名義だけでは足りず、兄や弟にもカードを作ってもらい、その名義でもお金を借りたため、当時持っていた消費者金融のカードは25枚程だったと記憶しています。さらに、ベンツを買ったことにしてマイカーローンも組み、返済額が膨れ上がってくれば、妻のカードのキャッシング枠にも手を出しました。

妻はこれまで借金の経験がなかったため、督促の通知が来た時、彼女の心は深く打ちのめされました。今思うと考えられませんが、この時点でも妻にはまだ何も言っていなかったのです。当時はまさに「借金地獄」でした。自分でも、もうどうしたらいいかわからない状態です。

日々、お金の問題で妻との間に摩擦が絶えず、その光景が自分の親と重なってしまうことがとても嫌でした。妻と顔を合わせたくなかったので、朝早く家を出て、妻が寝た時間くらいに帰るか会社に寝泊まりするようになり、会社でも仕事をせずネットサーフィンばかりして、毎日が酒とタバコの生活。ただ時が過ぎるのを待ち、もはや生きている実感すら感じられなくなりました。

自己破産も考えましたが、兄と弟名義でも借金があったのでそれも不可能でした。自身の招いた行動の結果ですが完全な八方塞がりです。

つい数カ月前までは、あふれるくらいのお金を持っていたはずなのに、なぜこうなってしまったのかと後悔の念に駆られる日々。借金、人間関係、すべてが最早手遅れのまま、私の人生はこれ以上どん底がない奈落の深みにまで落ちていました。

04 Admit a Mistake
間違いを認める

顔面麻痺、鬱病、死人同然の生活の中で下した決断

稼いでいた頃の私は、お金を持っていない人たちを馬鹿にして見下していました。その頃の私にとって、優越感こそが生きている実感でした。しかし、今ではその実感もなく、自分が本当は井の中の蛙だったことに気づきました。すべては自分が招いた結果であり、自分の行動が単なる博打であったことを認めざるを得ませんでした。私は、お金の増やし方や投資の正しい方法を全く知らなかったのです。

私の身体は既にボロボロで、不摂生な死人同然の生活を繰り返していた影響から、ストレスによる胃潰瘍や顔面麻痺を患っていました。精神科でも鬱病と診断され、心身ともに追い詰められていた私に、かつて父が進んだ同じ道が見えてきます。

しかし、父とは違う道を選びました。父の死を通して、残された家族の苦しみを知っていたからです。そして、どんな困難な状況でも乗り越えることができるという強い意志が私の中に芽生えました。父の死で芽生えたのはお金への執着だけではなく、それ以上に生きることへの執着が生まれていたからかもしれません。

今までの自分を改めるために、見栄やプライドを捨て、義父や親戚に今の状況をすべて打ち明けました。返済することを誓い、公証役場にて正式に借用書を作り、法的にも効力のある書面も準備しました。怒りの声も上がりましたが、少なくとも配当金の返済は続けていたため、元本のみの返済での許しを得ることができました。

ローンやキャッシングの返済も一時的に減らすことができましたが、まだまだ借金の問題は解決していません。しかし、以前の失敗を繰り返さないよう、次に取るべき行動に向けての準備を進めました。

私の過去の経験から得た教訓は、どれだけ大きなネガティブなエネルギーも、考え方次第でプラスのエネルギーに変えることができるということです。私は、これからの人生をより前向きに生きることを選びました。

05 To Repay The Debt
借金を返済するために

絶望の淵から人生を取り戻す強い覚悟と行動

当時、私が背負っていた借金は1億円を超えていました。美容師として日夜休まず働いても返済できる額ではありません。そんな状況で痛感したのは、自分の力だけではこの問題を解決できないということです。だからこそ、全国の成功者たちの経験や知識を学び取ることを決意しました。

しかし、移動にも当然お金が必要で、腕時計やブランド品を質屋に預け入れ費用を捻出し、それを100回以上は繰り返したと思います。大阪や東京には何度も足を運び、あらゆる場で成功者たちの話に耳を傾けました。セミナーでは一番前の席に座り、食事会にも積極的に参加して、自分を覚えてもらうために必死でした。直接話をすることでしか成功への道はないと思っていたからです。

そして、ある先生との出会いが、私の人生における重要なターニングポイントとなりました。「お金を稼ぐ力と守る力は違う」ということを教えていただき、その上で「金融を学びなさい」という一言で進むべき道が見えました。

それからは、金融に関する多くの本を読み、先生のもとで直接の教えを貰いながら知識を身に付けていきました。その中で「投資とはギャンブルではない」「投資と投機は別」という基本的な原則を理解することができました。これらの学びをビジネスに取り入れ、継続的にその実践を重ねた結果、すべて返済するまで時間はかかりませんでした。2年8ヶ月で完済することができたのです。

資産が安定したことから、私は再び投資の世界へ足を踏み入れることを決意しました。多くの方々から得た知識と経験が、新たな挑戦への自信を持たせてくれました。

かつてのどん底の日々と比べて、現在の私のお金に対する考え方は大きく変わりました。以前のようなお金への過度な執着や、ギャンブルまがいの物に手を出すことも無くなり、投資のリスクとリターンをしっかりと理解して、資産を安定して増やせるようになっていました。

06 Lessons from Life's Lowest Point
人生の谷底が私に教えてくれたこと

私たちは何のためにお金を稼ぐのか

お金を稼ぐことが目的になってしまうと、欲と執着心の塊のようになってしまいます。お金は充実した人生を送るため、さまざまな経験をするため、家族を守るため、そして人のために使うものだと、今では思っております。

借金1億円を抱えた過去というのは決して喜ばしいものではありません。しかし、今となっては、若い時期に本当に良い経験ができたとも感じております。

もし、あの時の借金の重圧を経験していなかったら、私は今も欲望と執着心に支配され、多くの大切なものに気づくことなく生きていたかもしれません。

07 In The Conclusion
最後に

私の知識と経験をお伝えしてお客様の人生をより豊かに変える

何のためにお金を稼ぐのか、増やすのか、あるいは守るのか。それぞれの人には異なる目的があります。私はお客様を含め様々な方との出会いや、自らの体験を通して、多くのことを学んできました。

ただ単に「お金を増やすため」ではなく、「お客様の人生をより豊かにするために何が必要か」という視点を大切にしています。海外銀行での資産運用、暗号通貨や株などの投資、世界のファンドや支店長とのつながりなど、経験から得た知識とネットワークの太さを活用し、お話をさせていただきます。

実際に自分が試して成果のあった方法しか、お客様には提案しません。一度、私、吉岩と直接お話しして、私を知っていただいた上で、今後の関係をご検討いただければと思います。そして、お客様と一緒に資産形成をしていくお手伝いができることを心より願っています。

将来の不安なく資産価値を守り高めていけるお手伝いをします

1億円もの借金を背負った経験は、私にとって大きな試練でしたが、その返済までの険しい道のりを乗り越えることで、私は人間として深く成長できました。お金は私の人生において、常に中心的なテーマとして存在してきました。その経験から学んだのは、資産運用やお金の知識だけではなく、人と人との信頼や繋がりの重要性でした。

現地でのツアーを開催することで、多くの方々と直接出会い、一緒に学び、経験を共有する機会を持っています。資産運用セミナーでは、私が経験してきたこと、そして真摯に学んできた知識を伝えることで、参加者の皆様の資産形成をサポートしています。

特に、現地の支店長との長年の関係は私の強みの一つです。彼らとの信頼関係は、信用の積み重ねが大切だということを教えてくれました。これらの深い経験と学びを活かし、多くの方々に正しい資産の守り方、堅実な増やし方を伝え、海外口座を通して資産形成のサポートをすることを、私の使命と感じています。

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